入道雲

 しずかな声で、大次郎が言った。 と、瞬間に、正面の北伝八郎を襲うと見せた大次郎、だっ! 横ざまに足を開いて、右手にいた一人へ片手なぐり――女髪兼安は、がっと聞える異妖なよろこびの叫びを揚げて、肉を咬《か》み、骨を削った。 たら、たらと、女髪を伝わって鍔もとを舐める温かい人血。「ふふん、こりゃそうとうできる!」 中之郷東馬がそう言ってにやりとすると、大次郎も笑いながら、「お賞《ほ》めにあずかって――それでは、次ぎは貴殿へゆこう。」 くるりと、斬尖《きっさき》を東馬へ向けた。

     入道雲

 もう、伴大次郎は、伴大次郎ではなかった。下谷の小鬼だった。 間もなく――一人ふたりと女髪兼安を喰らって白い花を赤く染めて断末魔の蹂《もが》きに草の根を掴む者、痛手を押さえて退《しりぞ》き、花のあいだに胡坐《あぐら》を組む者。 大次郎のまわりには、入りかわり立ち代り、新手が剣輪を描いて。じっ――! 静止するかと見る! たちまち前後左右に飛び違える。鉄《あかがね》とあらがねが、絡んで、軋んで、押しあうひびき。掛け声は、出ない。沈黙の力闘なのだ。花の香を消す血のにおいが漂って、野の末にはむくむくと、梯子をかけて登れそうな雲の峰の群らだちである。 その、夏の陽ざかりの入道雲を背景に、白い棒のような剣がうごいて、人は、草をふみしだいて縦横に馳駆する。

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