この下の猿の湯にて

「どうしてこんなところにつづら笠が――。」 つぶやきながら、宗七が手をかけて笠を除《と》ると、下には、小石を重しに載せて一枚の紙が置いてある。 宗七が拾い上げて、大次郎に渡した。「はてな。何人が残しておいたものか。ことによると、佐助ではないかな――。」 ふたつ折りの紙をひらくと、さらさらと矢立《やた》てを走らせたらしい墨のあと。[#ここから1字下げ]「約束どおりこの山へ来り候えども、思う仔細ありて、両人を待たず、一足先に下山仕り候と申すは、昨夕登山のみぎり、この下の猿の湯にて、江戸|女《もの》と覚《おぼ》しき見目うるわしき女子を見初《みそ》め、この七年間、何ものにも眼をくれず、黄金のみ追い来りし文珠屋佐吉《もんじゅやさきち》。ぞっこん恋風とやらを引き申候。これより猿の湯に引き返し、強談もて娘を申し受くる所存に候。御存じのとおり、生れつき不具同然の醜面にて、おなごに縁うすき佐助の初恋。ゆめお嗤《わら》い下さるまじく、いずれは再び七年後に、この山頂にて御面談仕るべく、まずは一筆、こころの急《せ》くまましるし残し申候。           江上佐助あらため、                文珠屋 佐吉」[#ここで字下げ終わり] 大次郎、手がふるえて、紙が、かさかさと細かい音を立てた。 猿の湯にいる江戸ものらしい女――千浪さまにきまっている!「あの江上めが今は文珠屋と名乗って――うむ! こうしてはおられぬ。宗七、また七年後にここで、会おうぞ。」

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